【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(06/30)_学究達=440

2023-04-24 05:30:06 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月24日<ⰧⰊⰧ

◆ 桜木町駅近くで人間の国電焼き106人前一丁上がりとなる(1951年=国鉄桜木町電車火災事故発生)。なお22年経った同じ日にこの一件で恨み骨髄な連中が、国鉄の労使紛争に絡んで報復(首都圏国電暴動)に走った。 ◆ ジミー・カーターが支持回復へとイランにデルタフォースを投入するが、慣れない作戦が裏目に出て自滅する(1979年)。 ◆ アメリカでスペースシャトル「ディスカバリー」打上げ。軌道上でハッブル宇宙望遠鏡を放出(1990年)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(06) ◇◆ 第2回 サバクトビバッタとは何者か =3/3= ◆◇

   周囲を探索するうちに、さらに小さな生まれたての初齢幼虫を見る機会もあった。

「これ、そうですよ。群生相のものと、孤独相のもの、両方いますね。黒いのが群生相で、緑のものが孤独相です。群生相は、初齢と二齢の時に、体が黒いんですよね。三齢からは、さっき見たような色になります」

 幼虫は孵化した時から、いや、卵として雌成虫の体内で成長している段階から、孤独相になるか群生相になるか運命づけられている。その条件が何かというのは、前野さんがモーリタニアにくる前から、実験室で取り組んできた大きなテーマだ。ぼくがフィールドにいた時期には、群生相の幼虫が大量出現しつつも、孤独相のものもパラパラとみられる状況だった。

 そして、とうとう、地面近くを羽ばたき、飛翔するものの姿を見つけたのは、初日の夕方のことだった。ぼくが走り回って、なんとか捕まえてくると、「ああ、成虫ッスね」と前野さんはこともなげに言った。

 前野さんは、ぼくからそいつを受け取ると、翅をこちらにむけてぼくのカメラの前に差しだした。

「古代ヘブライ人は、この翅の模様を見て、ヘブライ語で『神の罰』と書いてあると思ったそうッス。バッタを意味するLocust(ローカスト)という言葉の語源も、『焼け野原』という意味だったそうです。こいつが来た後は何も残らない。天災だ、と」

 成虫が飛んで長距離移動するのは、「マイグレーション」という。地面をマーチングしているのではなく、飛翔して「渡り」をする。(鳥などの場合「マイグレーション=渡り」は、行って帰ってくる行動をさすが、昆虫の場合は一方向への長距離移動というニュアンスが強いそうだ。念のため)。そして、成虫が群れをなして飛ぶ状態のことは「スウォーム」だ。さいわい、ぼくは「スウォームのマイグレーション」を見ることはなかったが、サブサハラや中東の国々は、常にその脅威に怯えなければならないのだ。

 日本のトノサマバッタと近縁で、トノサマバッタ同様、群生相となると人々に大きな被害をもたらす。そのような点で、我々と近しいところもあるサバクトビバッタだが、やはりその野生のフィールドはアフリカや中東の砂漠であり、日本の環境とはまったく違う。距離的にも非常に遠い。前野さんの存在で、一気に、この昆虫の存在と脅威が、我々の目の前にくっきりと現れたのである。

・・・・次回は“ 第3回 バッタ博士、サバクトビバッタと出会う ”に続く・・・・

…… 参考資料: 前野ウルド浩太郎_ウィキペチディア(Wikipedia)より (6/6) ……

私生活

肥満児で体育座りさえできないほどに腹が出ていた幼少期を過ごすが、前野の実家の近くで従妹が剛柔流修武館空手道場を開いていたことから、前野も小学校6年間をそこで鍛えた。動きが緩慢だったことから、「初段(補)」の段位に止まり、卒業と同時に鍛錬も諦めてしまった[31]。高校時代には部活動でソフトテニスに明け暮れ、15キロの体重減量に成功するも補欠止まりであった。挫折するとすぐに別の道を探し始める性格で、他者よりも努力しようとしない人生の連続であった。しかし昆虫の研究だけは負けたくない、との強い意志と覚悟を持ち続けた。

モーリタニア単身滞在中は、秋田に住む両親とSkypeで2週間に1回会話して精神の安定を保っていた。その結果、渡航以前よりも秋田弁が強化されたという。

弟・拓郎はグラフィックデザイナーであり、2012年出版『孤独なバッタが群れるとき サバクトビバッタの相変異と大発生』ではバッタの部位解説イラストを弟が手掛けたほか、2013年のニコニコ学会βシンポジウム登壇に際し、弟からプレゼンテーション資料の作成協力を得た。また、2013年6月から始まった『プレジデント誌』のバナー画像や、『バッタを倒しにアフリカへ』を記念した光文社公式Tシャツのデザインも弟が担当している。

・・・・・以下、彼の道程を綴ろう・・・・・

バッタに人生を捧げます…天災レベルに大発生する害虫を愛する男が行き着いた"ある場所"

暴走を止めるはずの研究者が「撲滅する気は毛頭ない」と断言する理由=

生粋の秋田県民が「ウルド」と名乗る理由

まず初めに疑問に思われたのが、本稿の内容よりも著者の氏名の間にある「ウルド」だろう。

どこの国の人かと思われただろうが、私は生粋の秋田県民だ。この「ウルド(Ould)」はモーリタニアで最高敬意のミドルネームで「~の子孫」という意味がある。

モーリタニアに渡ってからは毎日のように所長室に遊びに行き、ババ所長と研究の話や文化の話を楽しんでいた。

たとえば、モーリタニアの人たちは右手を使って手づかみでご飯を食べ、大皿を皆でつっつくのが習慣だ。「いいか、コータロー。誰かと一緒にご飯を食べるときのコツを伝授してしんぜよう。とりあえずそいつにいっぱい質問するんだ。そいつが答えているうちにいっきに食べてしまうのだ。もし、そいつに質問されても『知らない』や『わからない』とだけ答えてしまえばよい」や、「モーリタニアの人たちは心が優しいからご飯をわざとこぼすんだ。こうするとアリたちが大喜びするだろう」などと思わず微笑んでしまう小ネタを教えてもらっていた。

両親は反対するかと思ったが…

とある日、いつものように所長と話をしていると「コータローはよく先進国からモーリタニアに来たもんだ」と言われた。

「私はサバクトビバッタ研究に人生を捧げると決めました。私がアフリカに来たのはきわめて自然なのです」と伝えるとババ所長はがっつりと両手で握手してきて、「よく言った! オマエはモーリタニアンサムライだ! 今日からオマエは、コータロー・ウルド・マエノを名乗るがよい」と名前のモーリタニア化を許された。そんなババ所長の本名は、モハメッド・アブダライ・ウルド・ババ。

毎年、各国回りもちで行われるアフリカ・サバクトビバッタ首脳会談が数日後にモーリタニアで開催されたときに、会が始まる前にチュニジアの長にババ所長が、「こちら、日本からきた研究者のKoutaro Ould Maenoです」と紹介してくれた。

・・・・・・明日に続く

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https://youtu.be/6bx5JUGVahk ==Swarm Of Locusts DEVOUR Everything In Their Path ==

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森のなかえ

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